アーチェリー部の歴史(概略)

【関西大学体育会アーチェリー部の歴史】
関西大学体育会アーチェリー部は1960年同好会からスタートし、1963年正式に関西大学体育会の部へと昇格する。
当初は男子部員で構成されており、第1回全日本学生王座を優勝するなど、栄光ある戦績を残す。
1973年に初めて女子部員が4名入部。現在の男女混合の体制となり、 1982年のリーグ戦で1部昇格して以降、リーグ戦では男女ともに1部を保持。
団体戦・個人戦ともに輝かしい戦績を残す。
2005年、SF(スポーツフロンティア)入試での経験者の入部により、経験者と未経験者が融合した体制となり、更なる飛躍を成し遂げている。

【世界・全国レベルで活躍】
過去、団体では、男子7回、女子4回、全日本学生王座決定戦に出場。
男子は第1回の王座決定戦で優勝、その後2008年、2010年の王座決定戦で3位に輝く。 女子は2013年の王座決定戦で見事3位に輝く。
個人では、ミュンヘンオリンピック候補選手や、世界アーチェリー選手権出場選手を輩出し、 全日本学生選手権大会の優勝者も数多く輩出している。

アーチェリー部の歴史(詳細)

【1960年代】
 1960年当時、神戸在住の外国人達がやりだしていた洋弓をやろうではないかということで同好会がスタート した。当時は弓も矢も竹製で、勿論、校内にレンジ(練習場)もあろうはずもなく、あみだ池にあったヤマハ様の レンジを借用して練習を開始した。
(※アーチェリーでは練習場のことをレンジと呼ぶ)
1960年後半には、六大学の連盟結成の気運が盛り上がり、大阪市立中央体育館で行われた連盟発会式 へ名を連ねた。
1961年には第1回リーグ戦が開幕。結果は5位。夏に小豆島で合宿を実施し、第2回リーグ戦 へと向かった。
1962年学校側から念願のレンジ(現社会学部学舎1号館の北側と東西に横たわる袋小路に挟まれた敷地))の使用許可がおりた。ただそれは草木がもうもうと茂った荒れ果てた土地であった。
当時の部員達は建設費 20万円を皆で負担し、なれない鍬とツルハシ・スコップで手に豆を作りながら、額に汗し黙々と雑草を刈り取り 雑木を伐り倒し、それらの根を1本1本引き、整地作業を行った。
互いに声を掛け合い、力を合わせて整地作業 をおこない、念願のレンジが完成した。
手作りのレンジで貪欲に練習に打ち込んだ甲斐があって、第2回関西 学生アーチェリーグ戦で5戦全勝の完全優勝。
関西大学レンジで行われた第1回全日本学生王座決定戦で 関東の雄、成城大学との接戦を制し、学生日本一の栄冠に輝いた。

個人では、当時2回生山本博之がインドネシアのジャカルタで開催された第4回アジア大会デモンストレーション競技に出場し2位の活躍をするとともに 関西学生アーチェリー選手権では3名が入賞した。
1964年初代顧問の重田晃一先生、故津川正幸先生、森本靖一郎氏(関西大学相談役)のご尽力により 関西大学体育会の部への昇格が5月20日の体育会主務会議において決定された。
部員40名、体育会アー チェリー部として産声をあげた。
部への昇格後、2回生手島雅樹が関西学生新人戦で優勝。1966年には上原 庸一が全日本学生選手権大会(通称インカレ)で準優勝と個人の活躍も含め、黄金期を築いた。
レンジも当時 工学部裏に移設され、90m・70m・50m・30mのオールラウンド型の本格的レンジとなった。

【1970年代】
 この頃から、アーチェリー部を有する大学の数が増えたせいもあってか、団体戦では試練の時代を迎える ようになった。
リーグ(団体)戦では1971年に2部へ初めての降格が確定したあと、1部へ復帰し戦ったのは、 10年の間にわずか1度だけであった。
とはいえ個人のレベルでは2回生永井八太郎が雨中大接戦の中、 インカレで優勝。
同年OBの手島雅樹も全日本選手権準優勝と活躍した。1972年には永井八太郎は全日本 学生選手権3位・全日本選手権で3位の成績を残し、ミュンヘンオリンピック候補選手となった。
1973年に初めて女子部員が4名入部。男女混合の現在の形となる。
初代女子部員の茂野千秋(現:中西)は頭角をあらわし、関西学生選手権準優勝、全関西選手権3位、全日本学生選手権優勝。
1975年に 第28回世界アーチェリー選手権へ出場し17位、OBの手島雅樹が日本チーム団体準優勝(銀メダル)に 大きく貢献した。
3代目レンジが緑豊かな場所(中央体育館横にあった小高い山の中)に移転したのもこの頃であった。

【1980年代】
 リーグ(団体)戦は、それまでの10年間の経験を糧として、勢力を盛り返した時期であった。
1982年に1部への昇格を果たしてからは、1,2の例外はあるものの男女ともに1部にとどまって善戦した。
但し、これには同年 以降1ブロック(6校)制から2ブロック制へのリーグ各部の再編成も関係している。
個人戦においてもは男女ともに優秀な成績を収めた。関西学生新人戦、関西学生選手権、全関西選手権、 全日本学生選手権、全日本選手権と数々の試合で好成績を収めた。
その中には1984年3回生平田元之の 全日本学生東西対抗戦90m大会新記録や4回生伊藤邦栄(現:小黒)の全日本学選手権30mダブラウンド 日本新記録がある。
伊藤邦栄(現小黒)はフィールド部門で1982〜1984年の間、関西学生、全関西、 全日本学生、全日本選手権とフィールド部門のタイトルを獲得し、第9回・第10回世界フィールドアーチェリー選手権に2回連続出場し15位・11位・の成績を収めた。
その後も1984〜1987年に3度の全日本タイトルを保持した。
1987年には関西学生選手権で太田謙治が優勝、同年の国体で3位の成績を収めるなど好選手が輩出した。

【1990年代】
 リーグ(団体)戦は1991年以降も苦戦を強いられたが、好調を保った。
個人では1993年に関西学生女子 個人戦で土屋陽子が優勝、1997年フィールド部門では川西寛子(現:田谷)が10年ぶりに全日本選手権で 優勝した。
1990年頃から当部の対戦相手に占めるスポーツ推薦入学者の割合が年々高まってきたという現実に 照らせば驚くべき成績といえる。
純粋なアマチュア集団である当部が戦えたのは、部員の努力はもとより、 学内に専用練習場があり、多くの部員と豊富な練習量を確保できるからに他ならない。
また、1990年代後半より吹田アーチェリー連盟主催のアーチェリー教室の講師や大会のお手伝い、関西 大倉高校との交流試合など地域活動にも積極的に参加するようになった。
1997年の阪神大震災を機に活動 が休止していたOB・OG会が再開し、顧問先生、OG・OG、現役が一連となった関大アーチェリー部の体制が 整ったものこの時期であった。
1998年からは、毎年に秋にOG懇親会も行われ2019年現在も受け継がれている。

【2000年以降】
 他大学のスポーツ推薦者の比率が急増し、苦戦を強いられる戦いが多い中、男女ともに1部で善戦している。
2001年に、OBである永井八太郎を監督に迎え指導体制を全面的に見直し、強化を図った。
2008年には、小池先生が任期満了となり、4代目顧問として李英和先生に就任していただいた。
その頃2007年には、関西大学 120周年事業の一環として、学内の整備が行われレンジがある丘も整備されることが決定し、レンジは高槻キャンパスへの移設が検討され始めた。
整備の期間中、学内での練習ができないため、吹田市ならびに吹田 アーチェリー連盟のご厚意により、練習場所を提供していただいた。
整備の期間中に小池先生・李先生、 関西大学体育OB会小坂会長のお力添えとOB・OGの多大な寄付のもと千里山キャンパス内の養心館屋上に 70mオリンピックラウンド対応型の4代目レンジが完成した。
2005年から始まった、SF(スポーツフロンティア)入試により経験者も入部した。
経験者と未経験者が融合 することで2008年のリーグ戦で男女ともに3位となり、男子は48年ぶり、女子は初学生王座選手権へ出場し男子3位、女子8位という成績を収めた。
その後男子は3年連続、女子は2年ぶり2回目学生王座選手権へ出場をしている。
個人では2000年石田真由子が関西学生新人戦で優勝、 2003年北川理佳子が2位、2008年には石井是が全日本学生室内選手権優勝、大嶋恵が全日本学選手権3位という好成績を収めた。
2009年蓑田可菜子が関西学生選手権で準優勝、2010年に全日本学生室内選手権で石井是が2年ぶりに優勝、市川雅裕が準優勝と全国レベルでの活躍をしている。
近い将来、現在の世界記録男子1386点(342 345 341 358)、女子1405点(351 351 346 357)を追いぬく選手が関西大学体育会アーチェリー部から育つことを期待する。

参考文献
2004年関西大学教育後援会発行 葦 No129号
「洗練された集団関大アーチェリー部」 小池 渺 経済学部教授

レンジ(アーチェリー練習場)の変遷


1.一代目レンジ 1960年〜
  校内にレンジはなく、あみだ池にあったヤマハ様のレンジを借用して練習。

2.二代目レンジ 1962年〜
  学校側から念願のレンジの使用許可がおりるも、それは草木が茂った荒地であった。
 (場所は現社会学部学舎1号館の北側と東西に横たわる袋小路に挟まれた敷地)当時の部員達は
  互いに協力して整地作業を行い、その努力の結果、二代目のレンジが完成する。

3.三代目レンジ 1966年〜
  工学部裏に移設され、90m・70m・50m・30mのオールラウンド型の本格的レンジとなる。
  後に、中央体育館横にあった小高い山の中に移転。

4.四代目レンジ 2007年〜現在
  関西大学120周年事業の一環として、学内の整備が行われレンジがある丘も整備されることが
  決定。整備の期間中は、学内での練習ができないため、吹田市ならびに吹田アーチェリー連盟
  のご厚意により、練習場所を提供して頂く。整備の期間中には多くの方々からのお力添、多大
  な寄付のもと千里山キャンパス内の養心館屋上に70mオリンピックラウンド対応型レンジが
  完成する。

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